心温まる話 76選
ほっとしたいときに。じんわり温かくなる、やさしい短編。
父の豆知識は九割うそ
父の言う豆知識は、だいたい嘘だ。大学入試の朝、会場まで車で送ってくれた父が、降りる直前にまた何か言い出した。
二年三組の時計
中学二年三組の学級日誌。日直が毎日一行ずつ書き、担任が赤ペンで返事をする。十月のあるページから、教室の時計の話が始まった。
義実家メモ
結婚して最初の正月、夫の実家は大分の山の中。三日間で覚えた決まりごとを、妻はスマホのメモに書きためた。
一日四百十二円
仙台で一人暮らしを始めた十九歳の息子。その家計簿を、父は居間のタブレットで見てしまった。
プール開放、十四日間
夏休みの小学校のプール開放。監視台の先生の前に、毎日水着で来て、一度も水に入らない二年生がいた。
もうひとりの佐久間さん
丁目がひとつ違うだけの、同じ番地の同じ苗字。四十年あまり、郵便を届け合ってきた相手の顔を、私はまだ知らない。
十九時四十分の値引き
閉店まであと一時間二十分。スーパーの鮮魚売り場で値引きシールを貼るパートと、毎晩同じ時刻に来る作業着の客。
代打の三者面談
母は夜勤明け、父は名古屋に単身赴任。中三の弟の三者面談に、大学三年の兄が行くことになった。
立会人席
市議会議員選挙の日曜日。小学校の体育館の投票所で、朝七時からパイプ椅子にすわっている七十一歳の立会人。
ハゼ一匹
結婚して三十一年、竿にさわったこともない女房が、急に「釣りに連れていけ」と言い出した。
きなこを預かった二週間
娘一家がハワイへ行くあいだ、孫のハムスターを預かることになった。七十四歳、生き物の世話は五十年ぶり。
冷蔵庫のホワイトボード
八十一歳の祖父に、免許を返してほしい。家族四人の話し合いは、冷蔵庫のホワイトボードの上で進んだ。
石の連絡帳
小学二年のたいちのランドセルには、いつも石が入っている。新任の担任と、夜勤の多い母親が書きつなぐ連絡帳。
写ルンです、残り四枚
夏休みの一人旅。灯台の前で、老夫婦に写真を頼まれた。渡されたのは、画面のないカメラだった。
洗濯ばさみ
ベランダの洗濯ばさみが、ひとつずつ減っていく。犯人は、向かいの電柱に巣をかけたカラスだった。
片側交互通行
夜の県道の工事現場。赤い誘導灯を振る六十七歳と、二十歳の新人。夜明けまで、あと六時間。
スタンプの送り方
病院の待合で、隣のおばあさんに「これ、どうやったら動物のが出るの」とスマホを差し出された。
臨時列車
花火大会の帰り、すし詰めの臨時列車。男子高校生の足もとに、迷子の女の子がいた。
教育実習の三週間
母校に教育実習に行ったら、指導教員は、高校時代にいちばん苦手だった先生だった。
フロント引き継ぎノート
駅前の古いビジネスホテル。夜勤のフロント係が書きつなぐ引き継ぎノートに、長期滞在の客のことが増えていく。
孫と花札
息子が離婚して、週末だけ小学五年の孫を預かることになった。口をきかない孫と、七十三の祖母。
網戸の張り替え
一人暮らしの娘から「網戸が破れた」と電話が来た。父は工具箱を積んで出かけた。
父とドラッグストア
中二の娘に頼まれて、父がはじめて買いに行ったもの。
立ち往生
大雪で止まった高速道路。隣のトラックの運転手がくれたもの。
足を踏む人
六十八歳から始めた社交ダンス。夫はいつも足を踏んだ。
チャンさんのメモ
コンビニの留学生バイトが、国に帰る前に残したもの。
松の湯のお知らせ
閉店する銭湯の入口に貼られた、手書きの紙。
作文のうそ
塾の生徒が書いてきた「家族旅行」の作文。
午前二時のコインランドリー
誰かの乾燥機が止まったまま、持ち主は現れなかった。
誤爆
別れて半年、元彼から間違えて届いたLINE。
ワゴンRで行く
結婚式の前の晩、娘が「あの車で行きたい」と言い出した。
九十五年後の恩返し
和歌山の漁村が救ったトルコ人と、九十五年後にテヘランで起きたこと。
みんなの店
閉店を決めた喫茶店の主人を、常連たちが引き止めた方法。
優先席
妊婦だった私に席を譲らせた高校生と、二十年後の同じ言葉。
最初の百円
自販機の前で十円足りなかった日、スーツの男性がくれた百円玉。
のり弁と缶ビール
毎晩同じ弁当を買う常連客が、一週間来なかった。
杖の老人
東欧の町で迷った夜、言葉の通じない老人が宿まで歩いてくれた。
黒い傘の傷
雨の日に知らない人から借りた傘が、十年かけて戻ってきた。
所見欄の一行
取り柄がないと思っていた私の通知表に、先生が書いたこと。
口パクの人
合唱コンクールで口パクを頼まれた私に、指揮者の男子が言ったこと。
貸出カードの名前
図書室で借りる本のカードに、いつも自分の一つ上に書かれていた名前。
三年間の作文
定年退職する厳しい国語の先生が、最後の授業で読んだもの。
レモン味の飴
毎日保健室に来る生徒に、養護の先生が黙って置いていったもの。
ベリーショート
抗がん剤で髪が抜ける前に、常連のお客さんが頼んだ髪型。
ポストの前の人
毎日ポストの前で郵便を待つ一人暮らしのおばあさんと、配達員。
丸のついた献立表
給食室で三十年。毎日きれいに空になって戻ってくる食器があった。
メーターを倒し忘れた夜
深夜、赤ん坊を抱えた女性を救急病院へ運んだタクシー運転手。
名札の名前
誰にも名前を呼ばれない清掃員に、ある新入社員が言った一言。
閉店の日の棚
五十年続いた町の本屋が、最後の日に作った特別な棚。
運転席の窓のメモ
廃線になるローカル線の運転士と、毎朝一番前に座った少年。
牛舎の歌
酪農家の父が、牛舎でだけ歌っていた歌。
モカのお葬式
五歳の娘が、はじめて命の終わりに向き合った朝。
背中の重さ
人間を怖がる保護犬と、同じ部屋で本を読みつづけた三か月。
おまけの金魚
夏祭りでもらったおまけの金魚は、十二年生きた。
ハーネスを外した日
十年間の盲導犬が引退する前の日、最後の散歩。
十一の名前
商店街の人たちが、それぞれ別の名前で呼んでいた一匹の猫。
半分のパン
給食のパンを毎日持ち帰る友達の後を、ある日つけていった。
郵便将棋
祖父が三十年続けた、顔を知らない相手との手紙の将棋。
二十一枚目の案内状
返事をくれない同級生に、同窓会の案内を送りつづけた。
入学式の日の顔
クラスで無視されていた私の似顔絵を、あの子は笑顔で描いた。
三十一通
転校していった人気者の机の中に、クラス全員分の手紙があった。
千円のショートケーキ
高校のときに貸した千円が、二十年たって封筒で返ってきた。
味噌汁の濃さ
四十年間、夫が文句を言わなかった理由。
逆さまの月
遠距離恋愛の二人が決めた、夜九時のルール。
傘立ての紺色
雨の日にだけ傘を忘れていく、喫茶店の常連客。
見てもいい?
目の見えない彼女が、僕の顔にさわった日。
靴箱の上の缶コーヒー
夜勤の妻と早朝勤務の夫が、玄関ですれ違う五分間。
毎日のプロポーズ
妻のことを忘れた夫が、面会のたびに言う一言。
片方の手袋
別れた彼の手袋が、片方だけ部屋に残った。
五十枚の便せん
「愛してる」と言わない祖父が、金婚式の日に渡した封筒。
七時十二分の各駅停車
毎朝同じ車両の、同じ本を読んでいる人。
裏返しの「め」
字が書けない母が、娘の入学式の朝にテーブルに置いた紙。
背中の文字
口下手な兄が、弟の背中に指で書いた言葉。
祖母の家の番号
亡くなった祖母の家の番号に電話をかけたら、知らない人が出た。
弁当箱の蓋の裏
口をきかない娘の弁当に、母が毎日貼ったメモ。
ビリの理由
運動会でいつもビリの息子が、転んだ子の前で立ち止まった。