創作家族約2分

背中の文字

兄は無口な人だった。

五つ上で、いつも部屋で本を読んでいた。僕が話しかけても「ああ」か「うん」。ゲームに誘っても「あとで」。あとでが来たことはない。

僕が小二のとき両親が離婚した。父が出ていった夜、僕は兄と並んだ布団の中で泣いていた。声を出すと母に聞こえるので枕に顔を押しつけていたら、隣から手が伸びてきた。兄の手だった。

兄は僕の背中に指で何か書きはじめた。パジャマの上からゆっくり。何を書いているのかわからなくて、ただくすぐったかった。三回くり返されてやっと読めた。

「ねろ」

なんだそれ、と思った。慰めるんじゃないのか。でもそのあと本当に眠くなって寝た。

それからも兄はたまに背中に書いた。中学受験に落ちた夜は「つぎ」。初めて彼女にふられた夜は「ばか」。一回「かゆい」と書かれたことがあって、何のことかと思ったら兄の背中がかゆかったらしい。僕がかいてやった。

兄は大学で遠くに行って、そのまま向こうで就職した。電話しても「ああ」「うん」で三十秒で終わる。

去年、僕は結婚した。

兄はスピーチを頼まれて、ものすごくいやそうな顔で引き受けた。本番でマイクの前に立った兄は、原稿を持ったまま何も言わなかった。十秒。二十秒。会場がざわざわしはじめて、司会の人が「お兄様、緊張されてますね」とフォローを入れた。

兄は原稿をたたんでポケットに入れた。それから壇を下りて新郎席のほうに歩いてきて、僕の後ろに回った。タキシードの背中に指が触れた。

会場の誰も何が起きているのかわからなかったと思う。新婦もきょとんとしていた。

僕だけ読めた。

「おめでとう」

そのあと、もう一回何か書いた。

「ねろ」

たぶん「ねろ」だった。意味がわからない。式の最中に。でもあの夜と同じ書き順だった気がする。

兄はそのまま自分の席に戻ってビールを一気に飲んだ。司会の人が困った声で「……お兄様、ありがとうございました」と言って、ぱらぱらと拍手が起きた。

あとで新婦に「お兄さん、何してたの」と聞かれた。

「たぶん、早く寝ろって」

「結婚式で?」

「結婚式で」

新婦は三秒くらい考えて吹き出した。

#くすっと笑えていい話 #心温まる話

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