創作学校・先生約2分

所見欄の一行

小六の最後の通知表を、家に帰ってから開いた。

成績はいつも通りだった。全部「ふつう」。三段階の真ん中。何の取り柄もないと自分では思っていた。

所見欄には担任の先生の字で一行だけ書いてあった。

「毎朝、教室の花びんの水をかえてくれて、ありがとう」

びっくりした。

たしかに毎朝かえていた。四月に誰かが持ってきた花が放っておかれて、水が緑色になってにおいがしてきたから。それが気持ち悪くて、なんとなくかえはじめただけだ。誰にも言っていないし、朝早く来てやっていたので誰も見ていないと思っていた。

先生は見ていた。

所見欄は普通、勉強とか生活態度とかを書くところだ。「算数をがんばりました」とか。なのに花びん。

中学、高校と進むうちに、通知表のことは忘れた。

大学四年の冬、就職活動がうまくいかなくて実家の押し入れをあさっていたら、それが出てきた。なぜかあの一枚だけクリアファイルに入っていた。母が入れたらしい。

「毎朝、教室の花びんの水をかえてくれて、ありがとう」

誰も気づかないところで誰かの毎日をちょっとましにする。わたしがやりたいのはそういうことなんじゃないか、とそのとき思った。思っただけで、実際に花屋の求人に応募したのは家から近かったからだ。

今は花屋で働いている。朝六時に市場に行って、店の前の花に水をやる。

先月、店に年配の女の人が来た。花を選びながらわたしの名札をちらっと見て、「あら」と言った。

先生だった。白髪になっていた。

「花びんの水の子」

名前より先にそっちが出てきた。

わたしは店で一番いい花を束ねて渡した。お代はいらないと言ったら、先生は「それはだめ」と言って、きっちり払っていった。三千二百円。

「毎朝かえてね、水」

帰りぎわに先生はそう言った。

かえている。毎朝。仕事なので。

#心温まる話

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