創作恋愛・夫婦約2分

七時十二分の各駅停車

七時十二分発の各駅停車、前から三両目、二つ目のドアの横。彼女はいつもそこに立っていた。

文庫本を読んでいた。カバーをかけない人で、タイトルが見えた。僕はこっそり同じ本を買って読むようになった。気持ち悪いと言われたら返す言葉がない。自覚はあった。

一冊目は、よく知らない北欧の作家のミステリーだった。二冊目は料理エッセイ。三冊目は時刻表の読み方の本。統一感がなさすぎて、どういう人なのかますますわからなくなった。

話しかけたことはない。一年半、一度も。

ある朝、電車が急ブレーキをかけて、彼女の本が足元に落ちた。拾って渡すと、「すいません」と言われた。初めて聞いた声は、思ったより低かった。

「それ、最後の三ページがいいですよ」

言ってしまってから、頭が真っ白になった。

彼女は本と僕の顔を二回見比べて、それから、

「……知ってました」

と言った。

「え」

「同じ本読んでるの。四冊目くらいから、わざと変なの選んでました。時刻表のやつ、読みました?」

「読みました」

「あれ、正直つまんなかったですよね」

「つまんなかったです」

彼女は吹き出した。つり革につかまったまま、肩をふるわせて笑った。まわりの人が何人かこっちを見た。

それから、二駅分だけ話すようになった。本の話、会社の話、駅前のパン屋が値上げした話。二駅が三駅になって、そのうち彼女が一駅乗り過ごすようになった。

三か月後、彼女は大阪に転勤になった。

最後の朝、何を読んだらいいかと聞かれた。僕は一晩考えて、自分がいちばん好きな本を持っていった。表紙の裏に、電話番号を書いて。書いてから、やっぱり消そうかと思って、ボールペンだったので消せなかった。

彼女が降りる駅の手前で渡した。

彼女もかばんから一冊出して、僕に押しつけた。ドアが閉まってから開いたら、表紙の裏に、番号が書いてあった。

彼女の本は、時刻表の読み方の本の、続編だった。

#心温まる話 #くすっと笑えていい話

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