創作家族約3分

ワゴンRで行く

娘の式の前の晩、俺は駐車場で車を洗っていた。

平成十六年式のワゴンR。色はシルバーということになっているが、屋根のあたりはもう白っぽく粉をふいている。走行距離は二十一万キロを超えた。去年の車検で、整備工場の兄ちゃんに「次は正直きついっす」と言われた。

別に洗う必要はなかった。式場へはハイヤーを頼んである。向こうのお父さんが手配してくれた、黒い、長いやつだ。

ただ、家の中にいると落ち着かなかった。女房は着付けの確認で電話ばかりしているし、娘は娘で友達とビデオ通話をしていて、俺の居場所がなかった。

バケツに水をくんで、スポンジでこすった。後ろのドアの下に、へこみがある。娘が高校のとき、自転車で突っこんできた跡だ。「ブレーキが遅れた」と言っていたが、あれはスマホを見ていたんだと思う。叱ったら三日口をきかなかった。

ワックスまでかけ終わったころ、娘が玄関から出てきた。サンダルをつっかけて、パックを顔に貼ったままだった。

「なにしてんの」

「見りゃわかるだろ」

「明日乗らないのに」

「乗らないから洗ってんだよ」

自分でも何を言ってるのかわからなかった。娘はしばらく車の周りをぐるっと歩いて、へこみのところでしゃがんだ。

「これ、まだ直してないんだ」

「金かかるからな」

娘は指でへこみをなぞった。パックのせいで表情がわからなかった。

「ねえ、明日さ、これで行っちゃだめかな」

「ハイヤー頼んであるだろ」

「ハイヤーは帰りに乗る。行きはこれ。お父さん運転して」

「ドレスが入らねえよ」

「入るよ。後ろ倒せば」

入らなかった。当日の朝、女房と式場のスタッフに怒られながら、娘は後部座席に横向きに座り、ドレスの裾を助手席まで伸ばして、ヘッドレストに頭をぶつけながら乗った。俺はエンジンをかけた。一発でかかった。珍しいことだった。

国道十七号は混んでいた。信号で止まるたびに、隣の車の人がこっちを見た。娘はずっと笑っていた。途中で一回、「このシート、昔の匂いする」と言った。何の匂いかは言わなかった。

式場の車寄せに着いたとき、黒いハイヤーの運転手が、いったい何事かという顔でこっちを見ていた。

娘を降ろすのに五分かかった。最後に娘は、へこみのあたりをぽんと叩いて、式場の中に入っていった。

ワゴンRは、その年の冬に廃車にした。書類にハンコを押すとき、女房が「写真撮っとけばよかった」と言った。

撮ってある。式場のカメラマンが、車寄せで勝手に撮っていた。ドレスの裾が助手席からはみ出していて、俺は運転席で、なぜかハンドルを両手でつかんだまま前を見ている。

娘はそれを、新居の玄関に飾っている。

#心温まる話 #くすっと笑えていい話

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