実話実話約2分

九十五年後の恩返し

一八九〇年九月、和歌山県・紀伊大島の沖合で、一隻の軍艦が台風に巻き込まれて座礁した。

オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号である。日本への親善訪問を終えて帰国の途についたところで、船は岩礁に砕け、乗組員の多くが荒れ狂う海に投げ出された。

嵐の夜、島の灯台に血まみれの男たちがたどり着いた。言葉は通じない。それでも何が起きたのかはすぐにわかった。

島の人々は総出で救助にあたった。崖を下りて海に漂う乗組員を引き上げ、冷え切った体を自分たちの体温で温めた。島は貧しい漁村で食料の蓄えも多くはなかったが、人々は米や芋を差し出し、非常用の鶏まで提供して生存者を看病したと伝えられている。

五百名以上が亡くなった。救われたのは六十九名だった。

生存者たちはその後、日本の軍艦で無事に祖国へ送り届けられた。この出来事はトルコの教科書にも載り、長く語り継がれることになる。

それから九十五年後の一九八五年。

イラン・イラク戦争のさなか、イラクはイラン上空を飛ぶすべての航空機を攻撃対象にすると宣言した。期限までわずかな時間しかなかった。

テヘランには二百名を超える日本人が取り残されていた。各国が自国民を救出するために次々と飛行機を送るなかで、日本からの救援機は間に合いそうになかった。

そこへトルコ航空の旅客機が降り立った。日本人を乗せるための飛行機だった。日本人たちは期限ぎりぎりでイランを脱出した。

なぜトルコが日本人を救ってくれたのか。多くの日本人はその理由を知らなかった。

後にトルコの関係者は、エルトゥールル号の遭難のとき日本人がしてくれたことをトルコの人々は忘れていない、と語った。トルコではこの遭難のことが学校で教えられていたという。日本ではほとんど知られていなかった。

※史実をもとに再構成しています。

#心温まる話

読み終えて、どうでしたか

保存する・アプリで読む LINEで送る

アプリでは、毎日新しい物語が届きます。

← 前の話六千人の命のビザ

この話を読んだ人におすすめ

22
創作友情約2分

三十一通

転校していった人気者の机の中に、クラス全員分の手紙があった。

133
創作見知らぬ人約3分

臨時列車

花火大会の帰り、すし詰めの臨時列車。男子高校生の足もとに、迷子の女の子がいた。

170
創作学校・先生約3分

二年三組の時計

中学二年三組の学級日誌。日直が毎日一行ずつ書き、担任が赤ペンで返事をする。十月のあるページから、教室の時計の話が始まった。

34
創作動物約2分

おまけの金魚

夏祭りでもらったおまけの金魚は、十二年生きた。

108
創作学校・先生約3分

作文のうそ

塾の生徒が書いてきた「家族旅行」の作文。

182
創作家族約3分

レシートのうら

母はいつも、レシートの裏に書き置きを残していく。高二の僕は、一度も返事を書いたことがない。