創作恋愛・夫婦約2分

五十枚の便せん

祖父は、好きだとか愛してるとか、そういうことを一回も言わない人だった。

祖母が熱を出せば黙っておかゆを作る。誕生日には黙って、駅前の花屋でカーネーションを一本だけ買ってくる。なぜか毎年カーネーション。母の日と混ざっているんじゃないかと、家族はみんな思っていた。

金婚式の日、親戚で集まって、駅前の中華料理屋の二階を借りた。祖父は乾杯の挨拶を頼まれて、グラスを持ったまま「まあ、なんだ。よかった」と言って座った。三秒で終わった。

帰りぎわ、祖父は祖母に分厚い封筒を渡した。「家で読め」とだけ言って、先にタクシーに乗った。

その夜、祖母から母に電話がかかってきた。母が受話器を耳から離すくらい、祖母の声が大きかった。

封筒には、便せんが五十枚入っていたそうだ。一年に一枚。結婚記念日のたびに書いて、渡さずに、五十年間、どこかにしまっていたらしい。どこにしまっていたのかは、今も誰も知らない。

祖母が読み上げてくれたのを、母がメモしていた。

一年目。「おまえのみそしるはしょっぱい」

七年目。「おまえのみそしるが、ちょうどよくなった。おれがなれたのか、おまえがかえたのか、わからん」

十八年目。「きょう、けんかした。おれがわるい。いわんけど」

三十一年目。「しらがが ふえたな。おれは はげた」

四十九年目。「らいねん ぜんぶわたす。わらうな」

五十年目の一枚には、たった一行。

「すきだ」

祖母は電話口で、「愛してる、じゃないのよ。すきだ、って。中学生みたいでしょう」と言って、それから黙った。母が「お母さん?」と呼んでも、しばらく返事がなかった。

翌朝、祖父は何事もなかったように縁側で新聞を読んでいたらしい。祖母がお茶を出すと、新聞から目を上げずに、

「読んだか」

「読みました」

「そうか」

それで終わりだったそうだ。

その年の祖母の誕生日、祖父はまたカーネーションを一本買ってきた。祖母はそれを、五十枚の便せんと一緒に、仏壇の横の引き出しにしまった。花はしおれるのに。

#心温まる話 #くすっと笑えていい話

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