創作仕事約2分

運転席の窓のメモ

うちの線の廃止が決まったのは、私が運転士になって三十一年目の春だった。

乗客は一日に平均十四人。赤字額は毎年、社内報の一番小さい字で載った。

その線に、毎朝七時四分の始発に乗ってくる小学生がいた。三年生くらい。いつも一番前の席に座って、運転室のガラス越しに、私の手元を見ていた。マスコンを握る手とか、ブレーキハンドルとか。

ある日、降りるときにその子が言った。

「おじさん、ぼくも運転士になる」

「そうか」と私は言った。それだけ。気のきいたことが言えない性分だ。

次の日から、その子は降りるときに、運転室の窓に小さいメモを貼っていくようになった。セロハンテープで、ガラスの外側に。

「きょうは雨だからきをつけて」

「ブレーキかっこよかった」

「きのうより2びょうはやくついた」

最後のは、たぶん気のせいだ。ダイヤ通りに走っている。

私はメモを終点で剥がして、制服の胸ポケットに入れた。捨てるタイミングがわからなかった。

最終運行の日、ホームには撮り鉄の人たちが二百人くらい集まっていた。いつもの十倍以上だった。カメラの音がうるさかった。その中を、あの子が人をかき分けて、一番前の席に座った。もう五年生になっていた。

終点に着いて、みんなが降りていった。あの子だけ残っていた。

「おじさん、もう運転しないの」

「この線路がなくなるからな」

「べつの線は?」

「定年だ」

その子は下を向いて、それから顔を上げて、「ふーん」と言った。

私は胸ポケットから、メモの束を出した。輪ゴムでとめてあった。数えたことはないが、百枚は超えていたと思う。

「持ってけ。運転士になったら、今度はおまえが貼られる側だ」

「いらない」

即答だった。

「ぼくが書いたやつだもん。おじさんのでしょ」

そう言って、その子は電車を降りていった。振り返らなかった。

メモの束は、今も家の引き出しに入っている。

十六年たって、先月、都内の私鉄に乗った。一番前の車両だった。運転室のガラスの向こうに、若い運転士の背中が見えた。ブレーキのかけ方が、ちょっと丁寧すぎた。新人かもしれない。

あの子かどうかは、わからない。顔は見えなかったし、確かめようもない。

降りるとき、私はポケットの中の付せんとボールペンを、握って、離した。

#心温まる話

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