羽根つき
日曜の午後七時十分。2DKのアパートの台所で、北見亮太は餃子の皮を三十枚並べていた。皮は業務スーパーの大判で、袋には「もちもち」と赤い字で書いてある。
妻の真帆は流しの横で、ボウルの中のたねを菜箸でぐるぐる回していた。豚ひき肉が二百五十グラムにキャベツが四分の一玉、ニラが一束。にんにくは入っていない。月曜に会議があるからだ。
結婚して六十一日目だった。
包むのは早かった。亮太は大学時代に中華料理屋の厨房でバイトをしていて、ひだを七つ寄せるのに四秒かからない。真帆のはひだが二つで、どれも少し傾いていた。亮太はそれについて何も言わなかった。真帆は亮太の手元を一度見て、自分のペースを変えなかった。
問題はフライパンに油をひいたときに起きた。
亮太が小麦粉を大さじ一杯、計量カップの水に溶かしはじめた。
「何それ」
「羽根」
「羽根?」
「羽根つきにすんの。パリパリのやつ」
真帆は菜箸を置いた。
「うち、羽根つけない派なんだけど」
「派って何」
「実家ではつけなかった。お父さんが、羽根は餃子じゃないって」
亮太は溶いた粉の入ったカップを持ったまま止まった。換気扇がごうごう回っていた。隣の部屋のテレビから、日曜七時のバラエティの笑い声が薄く聞こえた。
「いや、羽根も餃子だろ」
「羽根は小麦粉でしょ」
「皮も小麦粉じゃん」
これは正しかった。真帆は言い返す言葉を探すあいだ、ニラのついた指を布巾で拭いた。二回拭いた。
「とにかく羽根つけるとさ、取るときバリバリって割れて、どれが自分のかわかんなくなるの」
「自分のって何。全部ふたりのでしょ」
「だから、一個ずつきれいに取りたいの」
亮太はカップを置いた。置くとき少し強く置いたので、溶いた粉が縁から一滴こぼれた。
ここから二十分ほど話はさまよった。羽根の話は途中から真帆の実家の雑煮が澄まし汁であることに移り、亮太の母親がLINEのスタンプを一回に四つ送ってくることに移り、先週亮太がトイレットペーパーのシングルを買ってきたことに移った。シングルとダブルの話がいちばん長かった。そのあいだ三十個の餃子は、まな板の上で少しずつ皮が乾いていった。
七時四十分、亮太が言った。
「じゃあ半分ずつ焼く」
「フライパン一個しかないよ」
「仕切る」
亮太はアルミホイルを長く切って四つ折りにして、フライパンの真ん中に立てた。ホイルはすぐに倒れた。もう一回立てた。今度は割り箸を一本、支えに置いた。
真帆は腕を組んでそれを見ていた。口の端が一度動いたが、すぐに戻った。
右半分に十五個、左半分に十五個。亮太は右側にだけ、溶いた粉の水を回しかけた。じゅわっと音がして、湯気が換気扇に吸いこまれた。蓋をした。蓋の中で割り箸が倒れる、ころんという音がした。
六分後に蓋を取ると、仕切りは役に立っていなかった。羽根は左側にまで薄くひろがって、三十個の餃子をひとつの大きな円盤にしていた。
二人ともしばらくそれを見下ろしていた。
亮太が大皿をかぶせて、フライパンをひっくり返した。きれいに返った。こんがりした円盤の上に、縁の焦げたアルミホイルが一本だらんと乗っていた。
真帆が先に箸を伸ばした。いちばん端の一個を取ろうとして羽根がバリッと割れ、隣の二個がくっついてきた。
「ほら」
「三個取れたんならお得じゃん」
「そういうことじゃない」
真帆はくっついた三個を自分の皿にのせて、一個ずつ箸で割って離した。黙って食べた。亮太も黙って食べた。酢醤油の小皿は一つしか出していなかったので、二人は同じ小皿に交互に餃子をつけた。
シングルとダブルの話は、まだ決着していなかった。
半分ほど食べたところで、真帆がホイルの焦げたところを箸の先でつまんで、皿の外によけた。それから羽根のいちばん薄いところを小さく割って、口に入れた。
ぱり、と音がした。
亮太はそっちを見なかった。テレビのリモコンを探すふりをして、ソファの隙間に手を入れた。
読み終えて、どうでしたか