給食袋のカセット
母に「あんたの押し入れ、片づけに来て」と言われたのは九月の終わりだった。私の部屋を手芸の部屋にするらしい。三十九にもなって、実家に自分の荷物があるのが悪いのだと言われた。
押し入れの天袋に、給食袋が一つ押しこんであった。
紺色のギンガムチェックで、母が縫ったやつだ。名札のところに油性ペンで「五年二組 たかはし」と書いてある。ひもを引くと、中からスーパーファミコンのカセットが出てきた。
『エルドラの剣』。中古で三千九百八十円だった。小五の正月に、お年玉で買った。
このカセットは半分、コウちゃんのものでもあった。
コウちゃんは同じ団地の三号棟に住んでいて、本体は持っているのにソフトを一本も持っていなかった。だから一本を二人で回した。一日おきに交代。受け渡しは給食袋で、ランドセルの横にぶら下げて学校に持っていく。教室で渡すと先生に取り上げられるから、帰りの下駄箱で渡した。
決まりは三つあった。
セーブは一番だけ。二番と三番は使わない。
相手の番のときに、新しいボスを倒さない。ボスは土曜に、二人そろってから。
主人公の名前は四文字まで入るので、二人の名前から二文字ずつ取って「ゆうこう」にした。姉に「友好って。条約か」と笑われた。
給食袋には、ときどきメモが入っていた。
「レベルあげしといた」
「やどやでお金ぜんぶつかった ごめん」
「さばくのとこ むずい あした土よう」
コウちゃんの字は右に傾いていて、「ご」の点々がいつも離れていた。
十一月の月曜日、コウちゃんは学校に来なかった。
朝の会で担任が「広瀬くんはおうちの事情で転校しました」とだけ言った。団地の大人たちは、夜のうちにトラックが来ていた、と小さい声で話していた。母に聞いても「大人の事情」としか言わなかった。
その日、家に帰ると、うちの郵便受けに給食袋が突っこんであった。カセットだけが入っていた。メモはなかった。
金曜の帰りに下駄箱で渡したのは私だ。土曜にボスをやる約束で。土曜、コウちゃんは三号棟から出てこなかった。インターホンを押しても誰も出なかった。私は一人で帰って、ふてくされて寝た。
それきり、私はそのカセットを一回も挿さなかった。怒っていたのか、見るのがいやだったのか、今となっては自分でもよくわからない。翌年にはクラスでプレステが流行って、給食袋は天袋に上がった。
三十九の私は、その給食袋を持って帰った。メルカリで本体を五千八百円で買った。今のテレビには差しこむ穴がなくて、変換の機械をもう千九百八十円で買った。妻は何も言わなかった。小一の娘は、知らない機械が届くたびに箱を開けたがった。
問題は電池だった。あのころのカセットは中の小さな電池でセーブを覚えている。二十八年たっていたら、たぶん切れている。切れていれば全部消えている。
日曜の夜、娘を膝にのせて電源を入れた。
音楽が鳴った。小学校の音楽室で、コウちゃんが鍵盤ハーモニカで吹いて、先生に怒られた曲だ。
セーブの画面に、一番が残っていた。
〈ゆうこう Lv41 まおうのとう さいじょうかい〉
私が最後に遊んだときは、レベル二十四だった。砂漠の町を出たばかりだった。
金曜の夜から、日曜の、たぶん夜中まで。コウちゃんは、引っ越しの荷物の横でこれをやっていたことになる。レベルを十七上げて、砂漠を越えて、船を手に入れて、塔を上りきって。
続きから始めると、ゆうこうは大きな扉の前に立っていた。
扉の前で、セーブしてあった。二番と三番は、空のままだった。
「パパ、あけないの」
娘が扉を指さした。
「これ、二人でやるやつなんだよ」
娘はカセットの箱をひっくり返して、裏を読んだ。
「ひとりようって書いてあるよ」
私は笑って、それからしばらく、コントローラーを持ったまま画面を見ていた。ゆうこうは扉の前で、足ぶみみたいに小さく揺れていた。
扉は開けなかった。
電源を切る前に、一番に、もう一回セーブした。扉の前で。
読み終えて、どうでしたか