創作友情約3分

代返

大学一年の前期、月曜一限の「統計学基礎」は、ほぼ全員が代返で回していた。出席は紙に名前を書く方式で、教授は一回も顔を見なかった。三百人入る大講義室に、実際に来てるのは八十人くらい。残りは友達が書いてた。

おれの代返をしてくれてたのが、矢島ってやつだった。同じ学科で、入学式の日に隣に座ってたってだけの縁。おれは火曜二限の「英語コミュニケーション」で矢島の分を書いて、矢島は月曜一限でおれの分を書く。完全にギブアンドテイク。正直、英語のほうは少人数で顔バレするから、おれのほうがリスクでかかった。一回バレかけたこともあって、「矢島くん、今日声違うね」と先生に言われたときは「風邪です」で押し切った。

矢島は変なやつだった。昼はいつも学食のカレーの小で、福神漬けを山盛りにする。福神漬けで量を増やしてるんだ、と本人は言ってた。バイトは三つ掛け持ち。ドラッグストアと居酒屋と、あと何かの工場。工場のほうは何を作ってるか聞いても「部品」としか言わなかった。

たぶん六月の三週目だったと思う。月曜の昼に矢島からLINEが来た。

「今日書けなかった すまん」

「おk 寝坊?」

既読はついた。返事はなかった。

火曜の英語ではいつもどおり矢島の分を書いた。水曜も木曜も学内では見かけなかったけど、まあそういう週もあるかと思ってた。おれもサボる週はあったし。

次の月曜は講義室に行って、自分で自分の名前を書いた。一年で唯一、自分で書いた日だったと思う。

LINEを何回か送った。「生きてる?」「統計の小テスト来週らしい」「カレー値上がりした 小が320円」。全部既読がついた。返事はなかった。

七月に学科の事務室の前を通ったら、掲示板に休学とか退学とかの一覧が貼ってあった。学籍番号だけで名前は出てない。矢島の番号は知らなかった。知らないってことにそのとき気づいた。三か月も週一であいつの名前を書いてたのに。

前期の成績では英語が「可」だった。おれのじゃなくて矢島の分の話。出席は全部そろってたから、テストを受けてなくても単位が出る方式だったらしい。いや、そんなわけないか。何かの手続きでそうなってただけかもしれない。よくわからない。

後期に一回、学食で矢島っぽい後ろ姿を見た。カレーの皿に福神漬けが山盛りだった。声をかけようとしてトレーを持ったまま近づいたら、全然知らない人だった。福神漬けはみんな山盛りにしてた。無料だから。

おれはもう四年だ。LINEは消してない。トーク画面のいちばん下はまだ「カレー値上がりした 小が320円」のままで、その横に既読って小さく出ている。

カレーの小は先週350円になった。送ろうとして打つところまでやって、やめた。

#眠れない夜に読む話 #大切な人に会いたくなる話

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