調律は四十分
調律をやって三十一年になる。五十六。腰が悪い。
その電話が来たのは十月の頭だった。売る前に一回だけ調律してほしいという。売るなら買取の業者が勝手に見るから要りませんよ、と正直に言った。一万四千円もらって、あさってトラックで運ばれていくピアノを合わせるのは、こっちも気分がよくない。
「それでもいいんです」と女の人は言った。六十代くらいの声だった。
住所は市の北の外れの団地だった。昼前に出ようとしたら、かみさんが「団地なら階段でしょ、腰のベルト」と言って、玄関にコルセットを放ってよこした。着けていかなかった。あれを着けると車の座席で背中が蒸れる。
四号棟の三階で、案の定エレベーターはない。道具のかばんが九キロある。二階の踊り場で一回休んで、そこでやっぱり着けてくればよかったと考えた。かみさんには言わない。
ピアノはヤマハのU1で、製造番号を見ると昭和五十三年のものだった。ふたの上にレースの布がかかっていて、その上に写真立てとこけしと電話の子機が載っていた。全部どけるのに五分かかった。こけしは二つあった。
ふたを開けてラを鳴らすと、半音近く下がっていた。二十年ならそんなもんだ。ハンマーのフェルトに虫の食った跡がある。高いほうの弦が一本、錆びて切れかけていた。
真ん中のドが戻ってこない。押すと沈んだままになる。前の板を外して中をのぞくと、鍵盤のすき間にヘアピンが一本と十円玉が一枚、それにドラえもんの形の消しゴムが挟まっていた。消しゴムは半分に割れていた。子供のいた家のピアノからはだいたい何か出てくる。ビー玉、鉛筆のキャップ、一度は入れ歯が出てきた。持ち主のおじいさんは、なくしたと思って二年間新しいのを使っていたそうだ。
ヘアピンと十円玉と消しゴムを、手のひらに載せて女の人に渡した。女の人はそれを受け取って、食卓の上に並べた。十円玉の年号は昭和五十七年だった。何も言わなかったし、こっちも聞かなかった。
「娘のなんです」
女の人は台所から椅子を持ってきて、少し離れたところに座った。こっちが何も聞かないのに話した。娘さんはカナダにいる。バンクーバーの近く。向こうの人と結婚して子供が二人いて、帰ってきたのは八年前が最後だという。
「上の子がね、もう十一なんですって。写真でしか見てないけど」
返事はしなかった。調律のあいだは音を聞いていないといけない。黙ってくれとも言わなかった。人がしゃべっている横で合わせるのには慣れている。
四十分かけた。本当は一回では合わない。二十年分下がった弦をいっぺんに上げると切れるから、まず全体を持ち上げて、もう一度なぞる。それでもしばらくすればまた下がる。売るならどうでもいい話なので、言わなかった。
錆びた弦は張り替えるなら別料金です、とだけ言った。
「いいです。そのままで」
終わってから、ドレミを上がって下がって、最後に和音を一つ鳴らした。仕事の終わりにはいつもやる。癖だ。
女の人が立ち上がった。
「ちょっと、いいですか」
ピアノの椅子に座って、両手を鍵盤に置いた。しばらくそのままだった。それから弾きはじめた。
「エリーゼのために」だった。最初の四小節はちゃんとしていた。そこから先は右手と左手がずれた。途中で三回止まって、三回とも同じところからやり直した。錆びた弦のところに来ると、ぼこっと鈍い音がした。
おれは玄関で靴を履いたまま待っていた。帰るきっかけを逃した。いや、逃したというより、立っていたかっただけかもしれん。どっちでもいい。
弾き終わると、女の人は両手を膝に置いた。
「娘がね、これだけは最後まで弾けなかったんです。発表会の曲だったのに、当日も真ん中で止まって。私のほうがうまくなっちゃった」
笑っていた。こっちも笑ったほうがいいのかと思ったが、やめた。
売るのをやめたらどうですか、とは言わなかった。そういうことを言う仕事じゃない。ピアノが一台売れても売れなくても、こっちの暮らしは変わらない。
「業者さん、あさって来るんです」
「そうですか」
一万四千円を受け取って領収書を書いた。但し書きは「調律代として」。
階段を下りる途中、三階からもう一回あの曲が聞こえてきた。今度は二小節目で止まって、それきり続きは聞こえなかった。駐車場で軽のバンのエンジンをかけると、ラジオがつけっぱなしで、野球の中継が延長十回に入っていた。
読み終えて、どうでしたか