知らない駅で降りる
毎朝七時十二分の各駅停車に乗る。家の最寄り駅から会社の駅まで、九つ駅がある。
五年間ずっと同じ電車に乗っている。
途中の駅の名前は全部言える。でも、降りたことがあるのは乗り換えの一駅だけだ。あとの七つは、窓の外を流れていく看板でしかない。ホームの柱の色でどの駅かわかる。
六つ目の駅は柱が緑色だ。ホームの端に古いベンチが一つある。夕方、帰りの電車から見ると、そのベンチにいつも誰かが座っている。
金曜の夜、会社を出たのは八時すぎだった。週の終わりで頭がぼうっとしていた。仕事で小さなミスをして、課長に小さく注意された。泣くほどではないけれど、まっすぐ家に帰る気もしなかった。
六つ目の駅に電車が止まった。緑色の柱。
ドアが開いた。
降りた。
理由はなかった。足が動いたとしか言えない。うしろでドアが閉まって、電車が行ってしまうと、ホームには私ともう一人しかいなかった。
ベンチには制服の男の子が座っていた。高校生くらい。英単語帳を開いて、口の中で何かを繰り返している。
改札を出ると、駅前に小さなロータリーがあって、その向こうに商店街が続いていた。半分以上シャッターが閉まっている。開いているのは、焼き鳥屋と、コインランドリーと、もう一軒。
もう一軒は古本屋だった。九時まで、と手書きの紙が貼ってある。
中に入ると、おじいさんが一人、レジの奥でラジオを聞いていた。野球の中継だった。本棚のあいだは人ひとりがやっと通れる幅で、紙とほこりのにおいがした。
文庫の棚から一冊抜いた。昔、祖母の家にあったのと同じ表紙だった。百円。
おじいさんは、本を紙袋に入れながら「どこから?」と聞いた。
「……通りすがりです」
「そう。通りすがりはね、たいてい戻ってくるよ」
意味はよくわからなかった。
ホームに戻ると、ベンチの男の子はまだいた。単語帳は、さっきより後ろのページになっていた。
次の各駅停車に乗った。家まではあと三駅。
窓の外で緑色の柱が遠ざかっていった。いつもと同じ景色だった。でも、あの柱の向こうに、ラジオの野球と百円の文庫本があることを、今は知っている。
紙袋の中の本は、まだ半分しか読んでいない。
返すつもりはない。でもたぶんまた降りる。
読み終えて、どうでしたか