断る練習
スマホが鳴ったのは土曜の夜八時すぎで、画面に「中島さん(病棟)」と出た。
出る前からわかっていた。月曜の夜勤を替わってほしい、という話だ。中島さんは二つ上の先輩で、お子さんが二人いる。先月も替わった。先々月も替わった。
「ごめんね、また急で。月曜なんだけど、下の子が熱出しちゃって」
「あ、はい」
はい、と言ったら、そのまま「いいですよ」まで口が進むのが自分の癖だった。三年間ずっとそうしてきた。
その月曜は、母の誕生日だった。実家は電車で四十分。夕方に行って、近所のとんかつ屋で三人で食べる約束をしていた。父が予約の電話をかけたと言っていた。
「……あの」
電話の向こうで、中島さんが待っている気配がした。うしろでテレビの音がする。子どもが何か言っている。
「月曜は、すみません。ちょっと、無理です」
言ってから、心臓の音が耳の奥で聞こえた。何か理由を足さないといけない気がして、口を開けかけた。
「そっか、わかった! ほかの人に聞いてみるね。ごめんね休みの日に」
中島さんの声は、いつもとまったく同じだった。
電話は二十秒で終わった。
しばらくスマホを持ったまま、台所に立っていた。冷蔵庫の音がやけに大きかった。怒らせたかもしれない。月曜、病棟で目を合わせてもらえないかもしれない。LINEで長い謝罪の文を打ちかけて、消した。もう一回打って、また消した。
月曜は母の誕生日で、とんかつ屋のロースかつは少し脂が多かった。父が店員さんに「ケーキは持ち込みできますか」と聞いて断られていた。断る人は、断るとき笑っているんだな、と思った。
火曜の朝、ナースステーションに入ると、中島さんがいた。
「おはよー。月曜、田村くんが替わってくれた。下の子もう元気」
それで終わりだった。中島さんはカルテの画面に戻って、昨日の点滴の量を確かめはじめた。
休憩室でおにぎりを食べながら、手帳の後ろのページを開いた。三年分の「替わった日」が書いてある。十七回あった。
その下に、一行だけ足した。
九月十四日、断った。何も起きなかった。
読み終えて、どうでしたか