あめゆじゅとてちてけんじゃ
宮沢賢治には、トシという二歳下の妹がいた。
兄妹は、特別に仲が良かった。トシは賢く、賢治の理想や信仰を誰よりも理解していた。賢治にとってトシは、妹であり、同志であり、心の支えだった。
トシは、若くして結核を患った。
一九二二年十一月二十七日。岩手の花巻には、みぞれが降っていた。
トシの病状は、悪化していた。高熱にうなされながら、トシは兄に、土地の言葉で頼んだ。
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
雨雪を取ってきてちょうだい、という意味だった。熱に苦しむ妹は、冷たいみぞれが欲しかったのだ。
賢治は、二つの欠けた茶碗を持って、外に飛び出した。暗い空から落ちてくるみぞれを、茶碗で受けた。
その夜、トシは亡くなった。二十四歳だった。
賢治は、そのときのことを一篇の詩に残した。「永訣の朝」。
詩の中で、賢治はみぞれを取りに外へ出る。そして気づく。妹は、兄を慰めるために、最後にこの頼みごとをしてくれたのではないかと。
何もしてあげられない兄に、最後に一つだけ、してあげられることを与えてくれたのだと。
賢治は詩の中で、そのみぞれが、妹とこの先の自分を救う食べ物になるようにと祈っている。
トシの死は、賢治に深い悲しみをもたらした。賢治はその後も、トシへの思いをいくつもの詩に書き残した。旅に出て、遠い北の海辺で、死んだ妹の魂の行方を探し続けた。
賢治自身も、それから十一年後、三十七歳の若さで世を去った。生前に出版された本は、ほとんど売れなかった。
しかし、賢治の作品は死後に広く読まれるようになり、「永訣の朝」は国語の教科書にも載った。教室で、先生が「あめゆじゅとてちてけんじゃ」を読み上げると、たいてい誰かが笑う。聞き慣れない言葉だからだ。意味を知ってから、笑う人はいない。
※史実をもとに再構成しています。「永訣の朝」の本文は、青空文庫などで読むことができます。
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