余白のなっちゃん
祖母の肉じゃがは、うまかった。
祖母が死んで、レシピ帳をもらった。大学ノートに、何十年分の料理が鉛筆で書いてあった。表紙はセロハンテープだらけで、醤油のしみがついていた。
肉じゃがのページを開いた。材料、分量、手順。ちゃんと書いてあった。「砂糖 大さじ二 みりん 大さじ二 しょうゆ 大さじ三」。
その通りに作った。おいしかった。でも、祖母のじゃなかった。
何回作っても同じだった。鍋を変えた。火加減を変えた。じゃがいもを男爵からメークインに変えた。祖母のにはならない。
母に相談した。母も「私も何回やってもならんのよ」と言った。
ある日、祖母の古い友達のおばあちゃんが、線香をあげに来た。六十年の付き合いの人。肉じゃがの話をしたら、そのおばあちゃんは笑った。
「そりゃ、書いてないもん」
「何がですか」
「あの人、作るたびに変えよったもん。今日は孫が来るけんじゃがいも大きめ、とか。じいさん入れ歯やけん柔らかめ、とか。レシピ通りに作ったことなんか、たぶん一回もないよ」
レシピ帳をもう一回開いた。
肉じゃがのページの余白に、小さい字で何か書きこんであった。落書きだと思って、ちゃんと読んでいなかったところ。
「なっちゃん受験 甘め」
「じいさん入れ歯 やわらかく」
「なっちゃん失恋 じゃがいも多め」
「なっちゃん 肉きらい期 肉少なめ(ばれんように)」
なっちゃんは、わたしだ。
肉きらい期なんて、あったっけ。中二くらいか。ばれていなかった。まったく気づいていなかった。
その夜、肉じゃがを作った。仕事で疲れている夫のために、ちょっと甘め。にんじんが嫌いな息子のために、にんじんを小さく切って、じゃがいもの陰に隠した。
夫が食べて、「なんか今日のうまいね」と言った。
息子は、にんじんを全部見つけて、皿の端によけていた。
ばれた。
読み終えて、どうでしたか