原付の音
高校の担任だった松本先生が危篤だと、同級生からLINEが来た。卒業して二十年。
先生とは、卒業以来会っていなかった。年賀状も、三年目くらいで出さなくなった。
高校のころ、おれは荒れていた。授業をさぼって、けんかして、停学が二回。退学寸前だった。そのおれを、松本先生だけが見捨てなかった。
毎朝、家まで迎えに来た。原付で。先生の原付は、エンジンをかけるのに毎回五回くらいキックしないといけなくて、その音で目が覚めた。目覚まし代わりだった。
授業に出なかったら、放課後に補習。暴言を吐いても、先生は怒らなかった。ただ、「明日も来るぞ」と言った。本当に来た。
なんとか卒業できた。でも、先生に礼を言ったことはない。照れくさかったし、まともな大人になってから言おうと思っていた。
二十年たっても、まともな大人になった気がしなかった。
病院に行くと、先生は酸素マスクをつけて寝ていた。痩せていた。奥さんが、おれに気づいた。
「もしかして、原付の子?」
原付の子、で通じていたらしい。
奥さんはベッドの横の引き出しから、紙を一枚出した。おれの卒業証書のコピーだった。
「主人、これずっと持ってて。一番手がかかった子が、一番うれしい卒業だったって」
おれは、先生の手を握った。骨ばっていた。
「先生。おれ、今、中学の教師やってます。毎朝、生徒の家に迎えに行ってます。車で。原付じゃなくて」
先生の指が、少し動いた。
「ありがとうございました。先生がいなかったら、おれ」
続かなかった。
先生が、ゆっくり目を開けた。焦点が合っていない目で、天井のあたりを見た。マスクの下で、口が動いた。
聞き取れなかった。
奥さんが、先生の口元に耳を近づけた。それから、おれを見て言った。
「『遅い』って」
「……遅い、ですか」
「二十年遅い、ってことだと思う」
その夜、先生は亡くなった。
葬式には、卒業生が大勢来た。受付の列で、「原付で迎えに来られてた人」と誰かが言ったら、四人手を挙げた。おれだけじゃなかった。
今朝も、生徒の家に迎えに行った。インターホンを三回押して、四回目で出てきた。
読み終えて、どうでしたか