家の電話を解約する日
家の電話をやめることにした。
娘に言われたのは去年の暮れで、「お母さん、もう家の電話にかかってくるのなんて、詐欺かセールスだけでしょう」と。それはそうなのだけど、そう言われると腹が立つもので、半年ぐずぐずしていた。九月にNTTから明細が来て、基本料金が千七百いくらと書いてあって、それでやっと決めた。
うちに電話がついたのは昭和四十三年の秋で、私は嫁いで二年目だった。黒い電話で、ダイヤルを回すと人さし指の先がちょっと痛かった。加入権というのが三万いくら、いや、もっとしたか。主人の月給のひと月半ぶんくらいだったと思う。姑は「そんな大金を」とずっと言っていて、そのくせいちばん長電話をしたのが姑だった。毎晩七時から、前橋の妹さんを相手に一時間。
番号は五五の四一八七。
覚えやすいでしょう、と電話局の人が言った。四一八七で、よい花、と読めるからと。読めるかしら。主人は「死ぬ一番花だ」と言って姑に背中をはたかれていた。昭和の人はなんでも語呂にする。
息子が東京の大学に行ってからは、日曜の夜九時に電話がかかってくる決まりだった。寮の赤電話から十円玉を積んでかけてくるので、途中でがちゃんと音がする。あの音がすると息子が「もう切れるよ」と言うので、私は急いでしゃべった。何をしゃべったかは覚えていない。米が届いたかとか、そういうことだと思う。
娘の結婚が決まった電話もこの番号に来た。主人が倒れたという病院からの電話も、この番号だった。
まちがい電話というのもあった。昭和五十年代の三年くらい、毎年大みそかになると、同じ男の人から「年越しそばを四人前」とかかってきた。四一八六が駅前のそば屋だったらしい。三年目には私も慣れてしまって、「今年も四人前ですか」と言ったら、向こうが笑って「おたくの番号のほうを覚えちゃいましたよ」と言った。その次の年からはかかってこなくなった。そば屋の番号を覚え直したのか、四人前が三人前になったのか、それは知らない。
解約は電話一本で済んだ。若い男の人が出て、生年月日を聞かれて、「十月四日の正午で回線が止まります」と言われた。正午というのが、なんだか時報みたいでおかしかった。
娘は来なかった。来なくていいと言ったのは私だ。
十一時四十分に、廊下の電話台の前に台所の椅子を持っていった。電話はもう黒いのではなくて、ファクスのついた白いのになっている。黒いのは、何代目かのときに電話局の人が引き取っていった。あれは借りものだったらしい。五十年近く買ったつもりでいた。
十一時五十分。娘に持たされたスマホで、市外局番から五五の四一八七を押した。
廊下で白い電話が鳴った。
こんな音だったかしら、と思った。黒いのとは違って、ぴろぴろと軽い。それでも台所にいても二階にいても、この音が鳴ったら私は走ってきた。膝が悪くなってからは、走るつもりで歩いてきた。
出なかった。出たら私と私で話すことになる。
七回鳴ってから留守番電話に切りかわった。
「はい、大島でございます。ただいま留守にしております。ピーという音のあとに」
私の声だった。この白い電話に替えた平成七年に吹きこんだもので、四十八の私はずいぶん高い、よそゆきの声を出していた。誰かと思った。でございます、だなんて、一度も言ったことがないのに。
切ってからもう一度かけた。また七回鳴って、また四十八の私が出た。
三回目を押そうとしたところで、居間の柱時計が鳴りはじめた。スマホを耳に当てると、つー、つー、という音しかしなかった。
柱時計は十二回鳴った。白い電話はそれきり鳴らなかった。
読み終えて、どうでしたか