創作別れ約2分

青いランドセル

息子の陽太が死んだのは、小学校に入学する一か月前だった。

急な病気だった。二週間で。あまりに急で、泣くのが追いつかなかった。

家には新品のランドセルが残った。陽太が自分で選んだ青いやつ。じいじとばあばが買ってくれて、陽太は毎日それを背負って家の中を歩きまわった。夜、背負ったまま寝ようとして、夫に取り上げられて泣いた。

「はやく一年生になりたい」

それが口ぐせだった。

入学式の日、わたしは家から出られなかった。ランドセルを抱えて、リビングの床に一日座っていた。

一年たった。ランドセルは陽太の部屋にそのまま置いてあった。触れなかった。ほこりが積もって、それを拭くこともできなかった。

ある日、近所の小学校のPTAから回覧板が回ってきた。経済的な事情でランドセルを用意できない家庭があるので、お古でも譲ってもらえないかという。

何日も迷った。夫は「きみが決めていい」と言った。それが一番困った。

陽太は一年生になれなかったけれど、このランドセルはまだなれる。そう考えられるようになるまで二週間かかった。

ほこりを拭いて譲った。一つだけお願いした。「使ってくれる子の写真を、一枚だけもらえませんか」。

四月に写真が届いた。

青いランドセルを背負った男の子が、校門の前でピースしていた。前歯が一本なかった。陽太と同じくらいの背丈だった。

裏に、その子のお母さんの字で書いてあった。

「ランドセルの内ポケットに、小さい紙が入っていました。『はやく いちねんせいに なりたい ようた』。息子は、これを筆箱に入れて毎日持っていくそうです。勝手にすみません。捨てられないと言うので」

陽太はいつ入れたんだろう。ひらがなを書けるようになったのは、死ぬ二か月前だった。「な」が鏡文字だったころ。

六年後、卒業式の写真がまた届いた。

ランドセルはぼろぼろになっていた。青が色あせて灰色っぽくなって、角がすり切れて、右の肩ベルトが一度切れて縫い直してあった。縫い目がへたくそだった。たぶんその子が自分で縫った。

#泣ける話

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