創作家族約2分

送信されなかった下書き

母の遺品を片づけていたら、ガラケーが出てきた。ピンクの、折りたたみのやつ。充電器を探すのに二十分かかった。

電源が入った。待ち受けは、実家の犬の写真だった。その犬ももういない。

メールの下書きフォルダに、一件だけ残っていた。宛先は私。日付は七年前の十月。

その日のことは覚えている。大学を中退して東京で働くと言った私に、母は「あんたには無理」と言った。私は「お母さんみたいな人生、絶対いやだから」と言い返した。パートと家事と、父の機嫌をとるだけの人生。そう思っていたし、口に出した。母は何も言い返さずに、台所で洗い物を続けた。私はそのまま家を出て、三か月帰らなかった。

下書きを開いた。

「さっきはごめん。お母さんもほんとは自分の人生そんなに好きじゃない。あんたの言うとおりや。でもあんたのことだけは失敗やないと思っとる。だからお母さんみたいにならんでいい。東京行くならちゃんとご飯食べなさい。野菜も。カップラーメンばっかりはだめ」

途中で文章が終わっていた。「野菜も。」のあと、改行が三つ入って、それきり。

送らなかった理由を考えた。送ったら私が帰ってくると思ったのか。ただ、打つのに疲れたのか。母は携帯の文字入力が遅くて、「あ」を出すのにボタンを五回押したりしていた。これを打つのに、たぶん三十分以上かかっている。

三か月後に帰ったとき、母は「おかえり」と言って、肉じゃがを出した。謝りもしなかったし、怒りもしなかった。私はそれを、母の鈍さだと思っていた。

下書きの画面を、しばらく見ていた。それから、返信ボタンを押した。届かないのはわかっている。解約してあるし。

ボタンを押すたびに、ピッ、ピッ、と音が鳴った。母が使っていたときの音量のままだった。

「野菜、たべてる。たまに」

そこまで打って、「保存」を押した。下書きが二件になった。

#泣ける話 #大切な人に会いたくなる話

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