仲人の時計
はがきが来た。矢野からだ。
「このたび私ども夫婦は、話し合いの末、それぞれの道を歩むことになりました」。印刷だった。下に手書きで一行。「課長には直接お伝えすべきところ、申し訳ありません」。
課長と呼ばれなくなって四年になる。
平成十年の五月に、矢野と恵美さんの仲人をやった。俺が三十六で、矢野は二十七。仲人なんてのは本来は部長がやるものだ。その部長が胆石で入院して、俺に回ってきた。女房は「無理よ」と言った。俺も無理だと思った。結局やった。
挨拶は女房に原稿を書いてもらって、前の晩に風呂で三回読んだ。本番で新婦の出身校を間違えた。短大を大学と言った。恵美さんの親父さんがあとで「格上げしてもろうて」と笑ってくれた。佐賀の人で、披露宴のあいだじゅう、俺のコップにビールを注いでいた。
引き出物とは別に、二人から置き時計をもらった。仲人へのお礼というやつだ。セイコーの、木の枠に振り子がついたもの。居間のテレビの上に置いた。テレビが薄くなって上に物が置けなくなってからは、食器棚の上に移した。電池は年に一回替える。替えるのは俺だ。
二十八年で止まったのは一度だけだ。いや、二度か。地震で棚から落ちたときと、俺が電池を替え忘れた年。落ちたときは拾って振ったら動いた。
はがきを女房に見せた。女房はしばらく読んで、「恵美さん、お茶の淹れ方が上手だった」と言った。それだけ言って台所に戻った。
電話するかどうか、三日迷った。仲人が何を言うのか。言うことがない。矢野ももう五十五で、子供は二人とも成人しているはずだ。上の子が生まれたとき、俺はベビーカーを贈った。高かった。女房に、高すぎると言われた。
四日目の晩に電話した。
「はがき、見た」
「すみません」
「謝ることじゃない」
「はい」
それで話が切れた。向こうで車の音がした。外にいるらしい。
「時計、まだ動いとる」
何でそんなことを言ったのか、自分でもわからない。
「……あれ、まだありますか」
「ある。電池も替えとる」
「そうですか」
矢野は少し笑ったようだった。笑ったのか、鼻をすすったのか、電話ではわからない。
「返したほうがいいか」
「いや、そんな」
「そうか」
「課長が持っててください」
課長じゃない、と言いかけてやめた。
電話を切って、食器棚を見上げた。時計は七時十二分を指していた。合っているかスマホで確かめた。二分進んでいた。
直さなかった。
読み終えて、どうでしたか