留守番の九官鳥
九官鳥を買ってきたのはうちの人です。昭和四十六年の、稲刈りが済んだあとだったから十月の終わりでしょう。秋田の駅前のデパートの、屋上でなくて、たしか四階の奥にペット売り場があったの。そこで一万五千円。
一万五千円ですよ。あのころうちの人が冬に東京さ出稼ぎに行って、ひと月に送ってくるのが四万だか五万だか、そんなものでしたから。鳥かごを抱えて玄関に立っている人に、わたしは「何考えでら」と言いました。言ったと思う。もっときつい言い方だったかもしれない。
うちの人は「しゃべる鳥だ」と、それしか言わない。しゃべるかどうかは鳥の勝手だべ、とわたしは思っていました。
名前は子どもらがキュウとつけました。九官鳥だからキュウ。上の娘が小学四年で、下の坊主が一年。もうちょっと考えれと言ったけど、二人とももうキュウ、キュウと呼んでいたから、それで決まり。
出稼ぎに出るまでひと月ありました。そのひと月、あの人は毎晩、晩酌の前にかごの前さ座って鳥に話しかけていたの。ビールの大瓶が百四十円かそこらのころで、一晩一本と決めていた。一本と決めて、二本飲む日もあった。
「かあちゃん、ビール」
「なんもだ」
「へば、寝るが」
教えたのはその三つだけ。あとはあの人のくしゃみ。へーっくしょい、ちきしょう、っていう、あれは教えたんでなくて勝手に覚えたんです。
十一月の半ばに、うちの人は東京さ行きました。地下鉄の工事だと言っていた。どこの線だか聞いたけど忘れました。上野のほうだったかな。違うかもしれない。
キュウがしゃべり出したのは、あの人がいなくなって一週間くらいたった晩でした。
台所で大根を煮ていたら、茶の間から「かあちゃん、ビール」と聞こえたの。うちの人の声で。
菜箸を持ったまんま茶の間さ行きましたよ。誰もいない。テレビがついていて、子どもらは炬燵で寝転がっていて、キュウがかごの中で首をかしげている。下の坊主がひっくり返って笑って、上の娘は「父ちゃんだ、父ちゃんだ」って。
それから毎晩でした。夕方の六時ごろになると「かあちゃん、ビール」。九時を回ると「へば、寝るが」。くしゃみは時を選ばない。夜中にへーっくしょい、ちきしょう、とやられて飛び起きたことが何べんもあります。
お姑さんがまだ元気で、同じ家にいました。初めは気味悪がって、かごに風呂敷をかけたりしていた。そのうち慣れて、夕方になると「ほれ、そろそろ言うど」と柱時計を見るようになった。何の話のついでだったか前後はもう忘れたけど、お姑さんが「鳥のほうが留守番が上手だ」と言ったのだけ覚えています。褒めたんだか、わたしへの嫌味だったんだか。たぶん両方でしょう。
うちには黒い電話がありました。うちの人は日曜の晩に、飯場の近くの公衆電話からかけてくる。十円玉を積んで。こっちからかけることはしなかった。高いから。
わたしは電話に出るたびに子どもらのことと雪のことと、お姑さんの腰のことを言って、それから必ず「早ぐ切れ、電話代たげぇがら」と言いました。向こうで十円玉が落ちる音が受話器から聞こえるのよ。チン、チン、って。あれを聞くと落ち着かなくて。
三月の末にうちの人が帰ってきました。日焼けして、少し痩せて、東京ばな奈を提げて……いや、あれはまだない時代だね。何だったかしら。とにかく何か甘いものを提げて。
玄関を上がって茶の間に入って、鳥かごの前にしゃがんだの。自分の声を聞かせてもらうつもりだったんでしょう。
キュウは首をかしげて、それからはっきり言いました。
「早ぐ切れ、電話代たげぇがら」
わたしの声でした。
あの人は畳に尻もちをついて笑いました。お姑さんも笑って、子どもらも笑って、わたしだけ台所に逃げた。毎週毎週わたしがそれを言うのを、キュウは電話台の横のかごで聞いていたわけです。
その年の夏、うちの人はキュウにもう一つ言葉を教えようとしました。
「ありがとう」
ひと月かけても覚えませんでした。うちの人が「ありがとう」と言うたびに、キュウは「なんもだ」と返事をするだけ。
礼は覚えねで、返事だけ覚えたの。
読み終えて、どうでしたか