創作仕事約2分

三十年前のネジ

父の町工場はつぶれかけていた。

大田区の、従業員三人の工場。大手の下請けの仕事が切られて、借金だけが残った。父は毎晩事務所で電卓を叩いてはため息をついていた。電卓の「0」のボタンだけ文字が消えていた。

「もう畳むか」

父がそう言った週に、工場に電話がかかってきた。

相模原で人工衛星の部品を作っている会社だった。特殊なネジを作れるところを探している。精度は千分の一ミリ。ほかの工場には全部断られたらしい。

「なんでうちなんですか」と父が聞いた。

「うちの設計部長が御社の名前を出したんです。三十年前に御社が作ったネジを一本、持ってるそうで」

三十年前。父が独立したばかりのころだ。

父は受けた。

それから三か月、父は工場に泊まりこんだ。試作して、測って、だめで、また試作した。私も週末は手伝った。父の背中をこんなに近くで見たのは初めてだった。子どものころ嫌いだった油のにおいがした。

納品の日、設計部長という人がわざわざ工場まで来た。父より少し年下の白髪の人で、スーツの内ポケットから小さい袋を出した。中にネジが一本入っていた。

「新人のとき、先輩にこれを見せられたんです。『これが本物のネジだ』って。それから三十年、なんとなく持ってまして」

父はネジを受け取って指でつまみ、窓の光にかざした。長いこと見ていた。

「……覚えてねえな」

ネジを持った父の指先が少しふるえていた。

「あ、でも、ここ」と父は言った。「ここのバリ、取り忘れてる。三十年前のおれ、雑だな」

設計部長さんは大笑いした。

二年後、そのネジを使った衛星が種子島から打ち上げられた。工場の事務所のブラウン管のテレビで見た。父と、従業員の三人と、私。

ロケットが雲に入って見えなくなった。

父は「おれのネジが宇宙に行ったな」と言って、電卓の横に置いてあったあのネジを事務所の引き出しにしまった。

「バリ、取らないの」と私は聞いた。

「取らねえよ。記念だ」

#元気が出る話 #くすっと笑えていい話

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