連載『閉店まで、あと十日』 第2回
九日前 ― 七五三の父
正直に言うと、最初は駅前のスタジオを予約してた。
着物のレンタル込みで一万九千八百円。データも全部もらえる。嫁が見つけてきたところで、口コミの星が四・六だった。
そしたら、嫁の母親から電話が来た。「あんたの七五三も大黒さんで撮ったんでしょう。もうすぐ閉まるらしいよ」。
なんで嫁の母親が俺の七五三の写真館を知ってるのか、いまだにわからない。この町は狭い。
それで、予約をキャンセルして、大黒写真館に電話した。電話口のじいさんは、「土曜の十時」とだけ言って切った。値段も聞けなかった。
土曜の十時、息子の蒼(五歳)に羽織袴を着せて、店に行った。着物は嫁の実家にあったやつ。俺が着たのと同じもの、らしい。袖が少し短かった。
店に入ると、高校生くらいの女の子がいた。首からカメラをぶら下げて、隅っこで何か撮っていた。
「孫ですか」と聞いたら、じいさんは「違う」と言った。女の子のほうは「違います」と言った。二人同時だった。
撮影室は、記憶より小さかった。天井も低い。三十年前は、もっとでかい部屋だと思ってた。こっちがでかくなったんだから当たり前か。
蒼は、でかい木のカメラを見て、完全に固まった。黒い布をかぶったじいさんが「こっち見ろ」と言っても、泣きそうな顔で俺のほうばかり見る。
「蒼、じいちゃんのほう見て」
「こわい」
「こわくないよ」
「布が、こわい」
布は、確かにちょっとこわかった。
じいさんは、黒い布から顔を出して、しばらく蒼を見ていた。それから、カメラの後ろから出てきて、撮影室の隅の棚をがさがさやり始めた。
出てきたのは、黄色いアヒルのおもちゃだった。お風呂に浮かべるやつ。塗装がはげて、くちばしのところが白くなっている。
じいさんは、それをカメラの上に乗せた。
「アヒル見ろ」
蒼が、アヒルを見た。
パシャ、ではなく、カシャン、という重たい音がした。
俺は、なんだか変な気持ちになった。あのアヒル、見たことがある。
撮影が終わって、会計のとき(八千円だった。安い)、じいさんがカウンターの下から古いアルバムを出してきた。
「おまえ、何年生まれだ」
「平成……えっと、九一年です」
じいさんは、アルバムをめくった。めくって、めくって、止まった。
写っていたのは、羽織袴の五歳児だった。袖が少し短い。泣きそうな顔で、カメラのちょっと上を見ている。
俺だった。
「アヒル見てるな」とじいさんが言った。
見ていた。あのアヒルを、三十年前の俺も見ていた。
「ネガは全部とってある。うちで撮った客のは全部だ。店閉めたら、どうするか決めてない」
じいさんは、それだけ言ってアルバムを閉じた。
隅にいた女の子が、「え、全部ですか」と言った。
「全部だ。五十八年分」
女の子は、何か言いたそうな顔をして、黙った。
帰り道、蒼が「あのアヒルほしい」と言った。
「あれはお店のだから」
「おとうさんも見た?」
「見た」
「おとうさんも、こわかった?」
「……たぶんな」
家に帰って、嫁の母親に電話した。三十年前の写真が残ってたと言ったら、「知ってるよ。あんたのお母さんと、一緒に撮りに行ったんだもん」と言われた。
それも知らなかった。この町は、本当に狭い。
読み終えて、どうでしたか