稲むらの火
一八五四年、安政南海地震が紀伊半島を襲った。
和歌山県の広村(現在の広川町)に浜口梧陵という男がいた。醤油醸造業を営む商家の当主で、村の人々からの信頼も厚かった。
大きな揺れのあと、梧陵は海の異変に気づいた。津波が来る。
夜だった。あたりは暗く、どこが高台なのか、どちらへ逃げればいいのかもわからないまま、村人たちは逃げ場を見失っていた。
梧陵は田んぼに積まれた稲わらの山に次々と火を放った。
刈り取られ、脱穀を終えた稲わらは、村人たちの暮らしを支える大切なものだった。それでも梧陵は迷わなかった。
燃え上がる炎が闇の中に道を照らし、村人たちはその火を目印に高台の神社へと駆け上がった。
その直後に津波が村を襲った。家々は流され、村は壊滅的な被害を受けた。それでも火の明かりに導かれた多くの村人が命を救われた。
梧陵の仕事はそれで終わらなかった。
津波で家や仕事を失った村人たちは、村を捨てて出ていこうとしていた。梧陵は私財を投じて村に巨大な堤防を築くことを決め、その工事に村人たちを雇った。仕事と賃金があれば、村人は村に残れる。堤防は四年の歳月をかけて完成した。高さ約五メートル、長さ約六百メートル。
それから九十年あまり後の一九四六年、昭和南海地震が起き、再び津波が広村を襲った。梧陵の堤防は村の中心部を津波から守った。
この話は後に小泉八雲によって英語で紹介され、さらに「稲むらの火」という物語として日本の国語の教科書に載った。
今、広川町では毎年秋に「津浪祭」が開かれている。子どもたちが梧陵の築いた堤防に土を運んで盛る。一人ひと盛りずつ。
※史実をもとに再構成しています。
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